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【若松孝二監督命日上映】裸の銃弾『やわ肌無宿 男殺し女殺し』

組織を抜け捕まり、激しい拷問にあった勝一。5年後、凄腕の殺し屋となって復讐を開始する。
激しい銃撃シーンによって描かれる異色の若松映画であるとともに、若松プロダクション全盛期のオールスターで贈る一作である。

組織を抜け捕まり、激しい拷問にあった勝一。5年後、凄腕の殺し屋となって復讐を開始する。
激しい銃撃シーンによって描かれる異色の若松映画であるとともに、「殺し屋映画」の鬼才、大和屋竺の脚本が冴える。
出演に吉澤健を始めとして若松プロを支えた小水一男、秋山道男、監督助手に吉積めぐみ、撮影助手に髙間賢治など「止められるか、俺たちを」で描かれた若松プロダクション全盛期のオールスターで贈る一作である。

製作
:若松プロダクション
企画・制作
:若松孝二
出演
:吉沢健 林美樹 芦川絵里

映画監督 若松孝二

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1936年4月1日、宮城県生まれ。高校2年時に上京、様々な職を転々としながら、テレビ映画の制作助手、助監督を経て、『甘い罠』(63)でピンク映画デビューを果たす。次々と意欲作を続け、ピンク映画界で押しも押されぬ存在となる。1965年、若松プロダクションを設立。第一作『壁の中の秘事』(65)がベルリン国際映画祭に出品され、既存の映画界はこれを国辱だと糾弾し、大スキャンダルが巻き起こる。
 その後、ピンク映画を更なる自由な創造の場へと変革するために、大和屋竺、足立正生、沖島勲、小水一男ら新しい才能を積極的に登用し、性と暴力を徹底的に描き上げた数々の傑作を生みだしていく。
 1971年、カンヌ国際映画祭監督週間に大島渚と共に招待され、その帰途で足立正生とパレスチナに向い、アラブゲリラの日常を写したニュースフィルム『赤軍-PELP・世界戦争宣言』を撮り、赤バス上映隊を結成、新宿を皮切りに全国上映運動を展開する。
 続いて、初のATG映画となる『天使の恍惚』(72)を完成させるが、相次ぐ爆弾闘争、連合赤軍による浅間山荘事件が起きていく状況のなかで、上映反対キャンペーンが展開され、日本映画史に残る問題作となる。

 1974年、足立がパレスチナに越境してから以降もピンク映画を量産し、その一方で、大島渚『愛のコリーダ』(76)のプロデュースを手掛け、2作目となるATG映画『聖母観音大菩薩』(77)などを挟んで、内田裕也を起用した『餌食』(79)、『水のないプール』(82)から一般商業映画に活躍の場を移す。

 その後、俗に昭和三部作とも呼ばれる『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(08)、『キャタピラー』(10)、『11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち』(11)を完成させた。
『キャタピラー』では、寺島しのぶがベルリン国際映画祭の女優賞を獲得し、世界的に注目され、再評価された。2012年に遺作となった『千年の愉楽』を監督し、さらなる映画製作に意欲をみせていたが、2012年10月17日新宿の路上にて交通事故により永眠、享年76歳。事故の直前まで映画製作の打ち合わせをしていた。