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戦後のヨーロッパ映画を代表する女優、ロミー・シュナイダー。
オーストリア、ウィーンに生まれ、17歳で名声を得るものの、アラン・ドロンをはじめとする数々の男性との恋や破局、薬物中毒、息子の死など苦難に満ちた壮絶な人生を送り、43歳の若さでこの世を去った。
しかし死後、C・ドヌーヴやM・モンローを抑え「今世紀最高の女優」(仏CSA調べ)に選ばれるなど、その鮮烈な印象は今も色あせることなく光り輝く。
そんなロミーのはじめての本格的な特集上映がついに開催。
1938年、オーストリアのウィーンで名門俳優一家の元に生まれる。本名ローゼマリー・マグダレーナ・アルバッハ。6歳のとき両親が離婚、不遇の幼少時代を過ごすが頭脳明晰で独立心旺盛だった彼女は14歳で女優になることを決意。1955年の西ドイツ映画『プリンセス・シシー』の后妃エリザベート役によって欧州中で愛されるスターとなる。その後『恋ひとすじに』(58)で共演したアラン・ドロンと19歳にして恋に落ち婚約。ルキノ・ヴィスコンティ演出の舞台やオムニバス『ボッカチオ‘70』(62)の一編「仕事中」、オーソン・ウェルズ監督の『審判』(62)、またゴールデングローブ賞主演女優賞候補となったオットー・プレミンジャー監督の『枢機卿』(63)など精力的に活動するも、4年後にドロンと破局。失意の中、66年にドイツの舞台演出家と結婚、一児をもうける。2年ほど育児のため映画界から離れていたが、68年にドロン共演の『太陽が知っている』がヒットを記録、見事なカムバックを遂げる。以降は再びエリザベートを演じた『ルートヴィヒ』(72)、イヴ・モンタンと共演した『夕なぎ』(72)、フランス全土で大反響を巻き起こした『追想』(75)と多くの傑作、話題作に出演、“世界最高峰の女優”として名を馳せる。一方で度重なる色恋沙汰、破産、さらには元夫や息子の死など常にスキャンダルやゴシップがつきまとい、遺作となった『サン・スーシの女』(82)撮影の頃には心身ともに激しく疲弊していたという。82年、パリで逝去。次作で共演が予定されていたドロンの手配で大々的に葬儀が行われたが、ドロン自身は騒動を避けるため参列しなかった。