ニュー・オーリンズ出身の偉大なアーティストは数多いが、日本において"ジェイムズ・ブッカー"の名前はあまり知られていないのではないだろうか。
本名ジェイムズ・キャロル・ブッカー3世。あのドクター・ジョンにオルガンを教え、彼をして「ニュー・オーリンズが生んだ最高の黒人、ゲイ、ジャンキー、片目のピアノの天才」と言わしめた孤高の天才ピアニスト。クラシックからジャズ、R&B、ロックなどのジャンルを横断する超絶テクニシャンであり、歌も達者なアーティストであるにもかかわらず、彼は薬物・アルコール中毒、同性愛、精神疾患など、多くの問題を抱えたマイノリティでもあった。奇言・奇行の噂は枚挙にいとまなく、逮捕歴まである問答無用のダメ人間。だが、ひとたびピアノに向かえば、そのプレイは軽々とジャンルを超えた神がかりの輝きを放つ─。その茶目っ気たっぷりなキャラクターからは破滅型人間に特有な悲壮感など微塵も感じられない。片目のハンデを逆手に取り、常に粋な眼帯を装着したルックスも彼の愛すべきチャームポイントのひとつなのだ。
わずか43歳という短い人生を生まれ故郷ニュー・オーリンズに捧げた、この知られざる個性派ミュージシャンの生涯を、エモーショナルな演奏シーンをふんだんに盛り込み紐解いていく、エキセントリックな音楽"ヒューマン"ノンフィクション。"音楽が最高なら、それだけで価値がある"─本作は心からそう思わせてくれる映画だ。
1939年12月17日、米ルイジアナ州ニュー・オーリンズで牧師の息子として生まれる。彼は幼い頃から鍵盤楽器に興味を示し、父親の教会でオルガンを弾くようになった。
10代になったブッカーは次第にその頭角を現し、11歳で地元のゴスペルラジオ局でピアノを披露するようになる。14歳のときにはインペリアル・レコードでリトル・ブッカー名義で初のレコーディングを行い、また、同レーベルのスタジオ・ミュージシャンとして活動を開始する。
1961年、ソロ名義のインストゥルメンタル・シングル「Gonzo」をリリース。これがスマッシュヒットとなり、60年代には主にセッション・ミュージシャンとして数多くのアーティストのレコーディングやツアーに参加した。当時彼がバックを務めたアーティストには、ウィルソン・ピケット、B.B.キング、ロイド・プライス、ジュニア・パーカー、ファッツ・ドミノ、リトル・リチャードなど錚々たる面子がいる。
1967年、ヘロインの不法所持で有罪となり、アンゴラ刑務所に1年間服役。このため一時的に活動の中断を余儀なくされたが、出所後すぐにセッション・ミュージシャンとしての活動を再開。1976年には、ニュー・オーリンズのシーセイント・スタジオでファーストアルバム「ジャンコ・パートナー」のレコーディングを行った。
一方、ブッカーは地元のメイプル・リーフ、ティピティーナス、スナグ・ハーバーといったクラブへ常連で出演。またニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルにも参加するなど、ライヴ活動も積極的に行っていった。70年代後半にはソロでヨーロッパ公演も行い、各地で熱狂的に迎え入れられ、現地でライヴアルバムのレコーディングやリリースも行っている。
しかし、この頃からブッカーはアルコール中毒と麻薬中毒に加え、精神疾患を患い、体調を崩していった。演奏も調子の良いときと悪いときの落差が激しくなり、また奇言・奇行も目立つようになった。1982年のセカンドアルバム「Classified」のレコーディングの際には直前に倒れて入院する事態となったが、奇跡的にアルバムは完成した。だが、これが彼の生前最後のスタジオ作品となってしまった。
1983年11月8日、コカインの過剰摂取で倒れ、ニュー・オーリンズのチャリティー病院で死去。彼はひとりで救急車を呼び、車椅子で病院の救急治療室で診察を待ちながら息絶えた。死因はヘロインとアルコールの常習による腎不全だった。
享年43歳。あまりにも早すぎる生涯だった。